ホテルのようなすっきりとした空間
床に何も置かず、ロボット掃除機がきれいにしてくれる部屋。
洋服を制服化してコーディネートに迷わない
たくさんの物に囲まれて雑多な生活をしている私には、
そんなミニマムな暮らしは憧れのライフスタイルです。
ふと見渡せば、身の回りにあるたくさんの物たち。
それらはどれも「手に入れたその時」は、
確かに私に必要な物たちでした。
今の私に本当に必要な物はどれだけあるのかしら
40代になってからそんな思いが湧いてきて、持ち物を見直しています。
そしてムダに物を持ちすぎていることに気づき、少しずつ手放し続けています。
少ない物ですっきり暮らす
今では穏やかなシンプル生活がしたい私が、
そもそもなぜ「マキシマリスト」になってしまったのか。
自分なりに過去を検証して、これからどうしていこうと考えているかをお話します。
◎物が増え続けた20年…増えた理由分析
我が家に今ある物は、
ほとんどが20代からの約20年間に手に入れた物たちです。
物が増えた理由を自分なりに分析すると
主にこの3つでないかと感じています。
- 物を作ることが職業だった
- 職業柄、人前に出ることが度々あった
- 作品を見せるための環境や小道具が必要だった
・物を作ることが職業だった
私の仕事は、ある分野のオリジナル作品を作ることです。
趣味が仕事になった私は、
作品作りがとにかく大好きで日々没頭していました。
作品のクオリティを高めるのと並行して、
私は材料収集にも力を入れていました。
色・柄・素材・サイズが違うもの、珍しい物などなど、
出会う材料に少しでもインスピレーションを感じると買ってしまう。
それを所蔵しておくことで、いつでも作品作りに生かせるから。
そんな考えで材料はどんどん増えていきました。
製作する量をはるかに超えて買い集めた素材たち。
ピーク時は我が家の半分以上は仕事の材料だった、
と言っても過言ではないと思います。
・職業柄、人前に出ることが度々あった
物を作る、というインドアな職業ではありましたが、
その作り方を教えるために教室を運営したり
テレビや関連誌などのメディアに出たりで、
人前に出ることが頻繁にありました。
今日は何を着よう?
定期的に同じ生徒さんに会う教室では、毎回違う着こなしを見せたかった。
記録に残るメディアには、華のある新しい服で出たかった。
シーズンごとに新しい服をかなり買っていた私。
クローゼットは数百着はあったであろう衣類で飽和状態。
靴も多い時は40足ほどありました。
・作品を見せるための環境や小道具が必要だった
自分の作品を宣伝するために、自宅で撮影することも日常でした。
SNSで画像を付けて情報発信したり、
撮った画像がそのまま、イベント告知や広告に使われることもありました。
撮影時は作品だけをシンプルに撮ることもあれば、
作品の使用例を見せるためのシチュエーションづくりや、
より良く見せる演出に使う家具や小道具も増えていきました。
外出するとインテリアショップや雑貨屋さんに立ち寄り、
これと一緒に撮影したら素敵だろうなぁ、なんて想像すると買ってしまう。
そんな感じでした。
小道具たちは、暮らしで使えるものもあれば、
撮影しない時はしまっておくだけのものもあります。
例を挙げると、使い切れないほどの大小さまざまなカゴだったり、
実用に向かないヴィンテージの食器や、装飾の多いキャンドル、
雰囲気の良さで選んだ内容の分からない洋書など、
いろんな雑貨が我が家にはあります。
その一部には今でも、
ストックフォトの小道具として活躍してもらっています。
◎マキシマリストになりやすい思考は特別なものではない
前述のように、自分がマキシマリスト化した理由について分析してみました。
良いものを作りたい。
そのためには多種多様な素材をキープしておきたいという
「持っていることの安心感」
出会ったその時に手に入れておかなくては…
あの時買っておけば良かったという
「後悔するかもしれない不安」
いつも素敵な自分を見てもらいたい。
作った作品もより魅力的に見せたい。
素敵な人が作る魅力的な作品と認められたい
「承認欲求」
私は「職業柄」のせいにしていますが、
これって仕事だけに言えることではないですよね。
友人関係、ご近所でのお付き合いの中でも、
良く思われたいと思う場面はあると思います。
SNSで「いいね」が欲しい。
たくさんフォローされたい。
関わったこともない人に対してまで、そう思う時代です。
たくさんの物に囲まれて安心したり、
周りから充実した人と思われて満足したり。
文字にしてしまうと、
なんだか浅ましいことのように思えて、自己嫌悪に陥りそうですが、
自分を満たすために物を手に入れる心理や行動の、
それ自体が悪いことではない、と感じています。
私自身が後悔しているのは、
そうやって手に入れてきた物たちを、
結果的に大事にできていなかったこと。
気の向くまま増える一方にしてしまった私に欠けていたことは、
「物の手放し方を考えておく」ことでした。
かつては自分の心を満たしてくれた物たちが、
ストレスだと感じる時が来て、ようやく気づくことになったのです。
◎まとめ
物が増え続けていた間は、私の生活は上り調子でした。
ただ前を向き上を目指し、ひたすら走り続ければ結果が出せました。
そんな日々の中で、ふと立ち止まり、後ろを振り返るときが人生にはあります。
進んで来た道の後ろには何が見えるでしょうか。
きれいな花も咲いている一方で、
残してきた物、壊してきた物、
美しくは無い何かが、落ちているのが見えるかもしれません。
ちょっとポエムっぽくなってしまいました
40代になって、順調だった生活に陰りが出てきました。
マキシマリストである自分に気づき、ストレスを感じ始めたのもその頃です。
今の私は夢から覚めたように、暮らしと心の整理整頓を始めています。
物を手放すのは、心の痛みを伴うこともあります。
でもその痛みと向き合うことで、心が晴れて暮らし向きも良くなる信じています。
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